INSIDE28予感

俺、明日退院していいって言われた。

窓から柔らかい日差しが入ってきてすっかり春を感じる光の中で、伊野尾はふんわりと言った。

昼抜けで来てた俺は伊野尾の横でパンをかじっていたが、その言葉にパンが喉に詰まりそうになるほど驚き、むせ込んだ。

大丈夫?

あああ。

がんばってパンを飲み込んだ後、ペットボトルのお茶を口にする。何度か大きく呼吸をして息を整えた。

本当に?

伊野尾が頷く。

何だか信じられない。俺と山田は付き添うのをやめたけどあれからこいつは熱は下がらないし、結局雄也に嘘ついたみたいに肺炎になってて点滴増えてるし、飯は3割ぐらいしか食えてないし。

本当に退院しちゃって大丈夫なの!?

俺が納得いかない顔したのが分かったのか、伊野尾はふふっと笑って俺に説明してくれた。

まだ熱もあるしご飯もそんなに進まないんだけど、もう外来治療でも大丈夫なんだって。もう家に帰って色生活した方が回復するだろうって。

そっか。

そうだな。今の伊野尾は籠の中の小鳥のようだ。それはそれで守られて生きてるけど、彼は人だからそういうわけにもいかない。外の世界で守られて生きててほしい。

退院して好きなことして、好きなもの食べて、疲れたら休んで。それで少しずつ体力も戻るんじゃないかって言われた。俺もそう思った。

ああ、そうだね。

それでね、明日ゆっこママが迎えに来てくれるんだけど、薮は明日仕事?

明日?明日は土曜なんだけど半日出勤なんだ。昼の一時半ぐらいには遅くとも帰れるんじゃないかな。

そっか。

ちょっとがっかりした顔になった伊野尾に俺もがっかりしたけどあわてて

あっ、でも俺、仕事終わったら伊野尾に真っ先に会いに行くから!

と言った。

伊野尾は寂しそうに微笑んだけど、気持ちを切り替えたのか頷いた。

翌日。土曜出勤の俺は自分のシフトを少し恨みながら出社する。

山田も仕事らしい。廊下ですれ違うが何だかバタバタしてるから声もかけられない。

あっちの部署の方が忙しそうで、うちの部署の倍ぐらいの人数が出社している。あれ見てると俺のとこはそれなりに暇でよかったなとかぼんやり思う。ただ、あそこが落ち着いた頃にこっちが猛烈に忙しくなる時がたまにある。年に一、二回ぐらいの頻度だけど。

きっとあの感じだと山田は半日どころかフル出勤だろう。

10時。伊野尾、もう病院出たかな。朝退院するって言ってたし。

何となくそわそわする。点滴は退院するぎりぎりまでつながってるらしい。大丈夫かな。

そんなことを考えていたら山田がバタバタ走ってきた。

薮ちゃん、ちょっと。

小声で外に引っ張られる。

何?

お願いがあるんだけど。

え?

お前んちの鍵、貸して。

へっ?

あまりの唐突さに変な声が出る。

え今?

そう、今!

はっ?

山田が俺の前で手を合わせる。何か焦ってるみたいだな。

ごめん、俺、この間お前んち行った時知念の家のスペアキー落としてきたみたいなんだわ。

あれがないと俺、今日家に入れないから。

えっ?

俺は発語レベルの声しか出ない。

山田、今、知念と同棲してんのか?そうなのか?

ぽかんとしたまままるでそれはそれはお困りでしょうとばかりに俺は自分ちの鍵を出していた。

サンキュー。とりあえず今資料忘れたから知念ちに行きたいんだよね。

山田は再び俺の前で手を合わせ、すまなさそうにあわてて去っていった。

マジで?そうなのか?

そんなことばかり考えながら俺はデスクに戻った。

しばらく突然の不確か情報のせいで作業が進まなかった。

そんな書類を出したせいで即効課長に怒られる。出してすぐ見つかる程度のミスだ。

テストで名前書いてないぐらいのミス。

どうした、薮。気合入ってねーぞ。

やたら体育会系のノリのこの課長のことが俺は結構好きだ。

すいません。やり直します。

あわててやり直す。つまらなすぎるミスだからすぐ訂正して出す。

そこが終わったら俺は落ち着きを取り戻した。今日の仕事に集中する。

山田が鍵持って昼の12時過ぎにやってきた。

ありがとう。助かった。

それだけ言うと何故か俺にウインクして去って行った。どういう気分なんだよ、あいつ。

ちょっとロスタイムはあったものの、俺の予定通り昼の1時には退社した。

ちょうど会社を出たところで俺のところにゆっこママから電話がかかってくる。

薮です。

番号は教えてあったけど一度もかかってきたことはなかった。

あんた、今どこ?

今会社を出ました。

そこからゆっこママが俺に語った話に俺は頭が真っ白になる。

そういうことだから頼んだよ。

ブチッと電話は一方的に切られた。電話がツーツー鳴っている。

嘘だろ?そんなことってある?

本当に俺でいいの?

ゆっこママからの依頼にいったん真っ白になった頭が色づいてきたと同時に俺は走り出していた。

走って走って、たどり着いたのは自宅。

鍵を取り出し、鍵を鍵穴に差し込もうと頑張るがすんなりいかない。それぐらい心が動揺してる。

早く、早くと思ってやっと着いたのに。鍵入らないって何なんだよ、俺。

あ、入った。

パチンと回してそれを抜き取り右ポケットに押し込むと、ドアノブに手をかけ一呼吸した。

そして一気に部屋に入る。

慌しくリビングに入ったら、ソファーの横に小さく倒れこんでいる彼を発見した。

俺の心臓が止まりそうだ。

かけよってがばっと抱き起こすとすんなりとその目が開いた。

おかえり、薮。

そう言って微笑むと、

ごめん、寝ちゃった。ちょっと動くと急に眠くなっちゃうね。

と目をこすった。

お前心配させんなよ。

思わず抱きしめた。

おかえり、伊野尾。

ふふっありがとう。

伊野尾がそのまま俺の肩に手を回した。

その力と熱を感じながら俺はこの上なく幸せで満たされていた。